2016年08月01日

第11回「行動」「偶然」「チャンス」の循環法則

こんなはずじゃなかったシニアライフ

原沢さん顔写真.jpg

シニアライフアドバイザー
原澤修一さん

第11回「行動」「偶然」「チャンス」の循環法則 

■「感謝される」こと「感謝する」こと

 今回掲載された原稿の中で何回感謝という言葉が出てきただろうか。
 「親子ゆえに容赦のない辛辣な言葉を投げつけてきた娘に感謝」「退職直後に救いの手を伸ばしてくれた友人に感謝」「渋谷で偶然出合った知人に感謝」「迷っているときに背中を押してくれた年下の友人に感謝」「未経験の私に講師のオファーをしてくれた方に感謝」「講師のイロハを仕込んでくれた先輩講師に感謝」退職して4〜5年の間にこんなにも多くの人に、面と向かって言ってはいないけれども感謝している。
 今となっては退職した日に「このあとどうするの?」この妻の一言にも感謝しなくてはと思えるようになってきた。

 今まで自分は常に見返りを求めてきた。常に感謝される側にいるほうが居心地良かった。
 最近気が付いたことは「感謝される」ことよりも「感謝する」側にいたほうが気持ち良く感じるようになってきた。
 たくさん感謝できる人のほうが幸せになれるような気がする。

■人生の化学反応

 事例にもあったように自分の意志に関わらず、とにかく行動を起こすことにより予期せぬ出来事に出会い、自分の中に潜んでいた今まで抱いたことのないような感情が突如噴き出してくる。
 私たちの日常は偶然に支配されているという。その偶然が「化学反応」を起こし思わぬ方向に私たちを導いてくれるときがある。
 「行動」が「偶然」を生み、そして「チャンス」にめぐり合う。このサイクルを回すためにはまず行動を起こすことが必要である。しかし行動を起こすことは簡単のようで簡単ではない。
 やはり結果を考えてしまうからだ。シニアになると特に腰が重くなる。
 私は「無理なく」「楽しく」をモットーに考えていけばよいと思う。そこに少しだけスパイスとして「役に立つ」を加えることにより人生に彩が増すような気がする。行動を起こすためには「ちょっとした勇気」があればよい。そして「好奇心を持つ」「楽観的に考える」が加わればさらに良い。

「こんなはずじゃなかったシニア」を送っていた私はほんのちょっとしたきっかけから、思ってもみなかった方向に人生が転がり始めた。まさに台本のないドラマである。
 「行動」「偶然」「チャンス」のサイクルを回し続けていく先には、また新たな「化学反応」が待っている。「ちょっとした勇気をもって」行動し続けることによって!

◇今回で「こんなはずじゃなかったシニアライフ」を終了します。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

◆原沢 修一氏・プロフィール
 シニアライフコンサルタント(講師デビューの仕方、講師養成、退職後の人間関係、生きがいに関すること、そなえとしての終活)

《プロフィール》
◇2009年 日本キャリア開発協会認定(厚生労働省指定試験合格)、キャリアカウ ンセラー(CDA)取得、
◇2014年 財団法人シニアルネッサンス 財団(内閣総理大臣設立認可)認定 シニ アライフアドバイザー(SLA)取得、
◇2015年 一般社団法人日本元気シニア 総研認定 元気シニアビジネスアドバイザー 取得退職後、やっと手に入れた自由、今ま でできなかった、あれもやりたい、これもやりたいと「男のロマン」を求めてみたが、思ったようにいかない。
◇挫折を味わい、自由を満喫できると思っていた時間を持て余す日々が続き危うく引きこもりの人生かと思ったときに、あるきっかけがもとで私の人生は大きく変わりました。その経験と、数々の事例をご紹介し、皆さんが豊かなシニアライフを送っていただけるよう応援をしております。



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by たまゆら at 11:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月01日

第10回「生きがいはどこに@」

こんなはずじゃなかったシニアライフ

原沢さん顔写真.jpg
シニアライフアドバイザー
原澤修一さん


第10回「生きがいはどこに@」

■事例1
  仕方なく応じた元上司の誘い

 Aさんは定年退職して6か月、やることもなく家でぶらぶらしていた或る日、元会社の上司から電話があった。東京近郊の都市のスナックでシャンソンのリサイタルを定期的に行っているので来ないかとの誘いの電話で会った。そういえば、その上司は長い間フランスの海外勤務が長くその際にシャンソンを習っていたという話は聞いていた。Aさんはカラオケで演歌は歌うけれどシャンソンには全く縁もなかったし興味もなかった。
 しかし現役時代に世話になった元上司である。せっかくの誘いでもあるので仕方なく今回だけはと思い誘いに応じた。当日、スナックに行くと雰囲気の良い照明、周りの人と話が弾みことのほかお酒がおいしかった。
 シャンソンのことはよくわからないがお酒を飲むにはとても耳に心地の良い音楽だと思った。お酒の好きなAさんはすっかり非日常の雰囲気が気に入ってしまい定期的に行う上司のリサイタルを心待ちにするようになっていた。
 そしてスナックに通うようになって半年。なんと演歌しか興味のなかったAさんはいま六本木のシャンソン教室に通っているそうである。まさに60の手習い、びっくりである。
 なぜそんなことになったのかと聞くと「全く自分の知らない世界がとても新鮮だった」「新しいことをしてみたくなった」「みんなを驚かせたい」「みんなを楽しませたい、自分も楽しみたい、カラオケも同じだが歌うことは気持ちが良い」「みんなとシャンソンを通じてつながりたい」と以前とは全く違う表情で話してくれた。

■事例2
  まんまと功を奏した妻の作戦

 Bさんは70歳、ある会社の役員をしていて3年前に退職した。その間ずっと家におり、いわゆる引きこもりである。このままではまずいとかねてから心配していたBさんの奥さんは町内会の役員をしており、次回の役員会に何とかBさんに出てもらう方法はないかと考えた。
 当日、奥さんは身体の具合が悪いからBさんに出てくれるよう頼んだ。奥さんは会計の役員をしているので、どうしても出席する必要があるからと説得した。
  いやいやながらBさんは初めて町内会の役員会に出席した。役員会では夏祭りの計画を話し合っていた。ただ黙って聞いていた。役員会に出席したいきさつ上Bさんは夏祭りに参加せざるを得なくなった。
 まず思ったのは暑い中での準備が大変で年寄りにはこたえた。ますます参加する意欲はなくなった。夏祭り当日は焼きそばの係になった。暑いので作る役は人に任せ、自分はできた焼きそばを売る役をしていた。
 すると、年寄りの夫婦が「毎年これを楽しみにしているのですよ。暑いのにみんなのためにご苦労様」と言葉をかける。今度は子供が町内会に配った金券を握りしめ「おじいちゃんありがとう」と買っていく。あっという間に用意した30個が売り切れた。家に帰ってBさんは「疲れた、でも楽しかった」と言ったそうである。
 奥さんはしてやったりである。ほくそ笑んだことは言うまでもない。この経験でBさんは何かを感じ取ったのであろう。これをきっかけに現役時代の仕入れのノウハウを生かし、焼きそばやフランクフルトなど今までスーパーで買っていたものを生協と一括購入の交渉をして町内会費を節約し、その分を子供が喜ぶようなイベントの費用に回したとのこと。
 その町内の夏祭りは地域の評判をよび今では遠くからも足を運んでくる人が増えたそうだ。自分のしたことが喜ばれ役割を得たBさんはいま持ち回りで、なり手のいない町内会長をしている。

歳を重ねていくと新たなことを自分から進んでやろうとは思わなくなっていく。不安だし、面倒くさい!「仕方なく応じた上司の誘い」「いやいやながら参加した町内会」案外そういうところに生きがいは潜んでいるのでは!
 本人は新たな役割を得、生きがいを見つけて喜んでいることだろう。
 しかし一番喜んでいるのは奥さんである。


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by たまゆら at 12:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

第9回「講演デビューA」

こんなはずじゃなかったシニアライフ

原沢さん顔写真.jpg
シニアライフアドバイザー
原澤修一さん


第9回「講演デビューA」

■最初の5分

 当日の受講生は12名。自治体の職員とスタッフの見守る中、途中10分の休憩を挟み2時間の講座は始まった。「最初の5分間をうまく乗り切るとスムーズにいきますよ」と丸山さんからは言われていた。私は開き直って臨んだせいか不思議と緊張もなく受講者の前に立ち、講座を進めていった。多分最初の5分を何とか乗り切れたのだと思う。
 しかし休憩後の後半30分過ぎた頃用意した資料が時間内に終わりそうにないことに気が付いた。
 頭の中でカットする部分を考えながら最後の15分は少し、はしょり気味になってしまった。ペース配分がうまくできず用意していた内容の70%くらいしかできなかったような気がする。あっという間の2時間のデビューであった。
 丸山さんが言うには「初めての時はほとんどの人は時間が足りなくなる。時間配分を考えずあれも入れたい、これも入れたい、と内容を詰め込みすぎる傾向があるから」だそうだ。確かにそうかもしれない。私の場合も当てはまる。2時間では終わらない内容だったのかもしれない。
 数日後、自治体より送られてきた講座のアンケートを丸山さんから見せられた。可もなく不可もなしといったところか。丸山さんの評価はというとまあ及第点とのことだった。背中を押してくれた桜井さんにはもちろん報告した。

■嬉しかった再度のオファー

 一か月ほど経ってから丸山さんから連絡が有り、前回と同じ自治体から退職直後の男性を対象とした講座のオファーがあった。テーマがテーマだけにきっと主催者側も私の年齢からちょうどいいと思ったのかもしれない。そうはいっても何を話したらいいのか。
 キャリアカウンセリングが専門の私としてはこの手のシニアの生き方に関することなどできるのだろうか。どうしたらいいものか弱気の虫が頭を持ち上げる。
 ここでまた桜井さんに登場願う。彼女が言うには「原沢さんが退職後体験してきたことを話せばいいのよ」と。この話を丸山さんにすると「私もそう思う、実体験だから説得力がある」と。二人にそう言われ気が楽になった。しかし受講者が私の体験談などに興味を示してくれるのだろうかと不安に思いつつ資料の作成に取りかかった。

■見事に外れた私と主催者の思惑

 主催者側のチラシには講座の対象者として「定年を控えた方または定年退職直後の方」となっていた。特に男性のみとはなっておらず「ご夫婦でもどうぞ」と記載されている。当然、私も主催者も団塊の世代を中心とした男性が受講するものと思い込んでいた。
 ところが、ふたを開けてびっくり2日前の集計で30名位の申し込みがあり、それも全員女性とのこと。予想外の事態発生にあわてた。当然私の資料は男性を意識して作成していた。丸山さんは「こういう事態もありうることで、臨機応変に対応しなくちゃね、これもいい経験よ。」と落ち着いて涼しい顔。そして女性向けに資料を作り変えるように指示があり、協力してもらいながらなんとか間に合わせた。
 もう一つ問題があった。受講者が予想していた人数よりも多かったことだ。講座の中でグループワークなども予定しており一人ではとてもさばき切れない。これも予想外のこと。すべて経験などと悠長なことを言っていられない。何とかしなくては!

■この道を行こう

 受講者が全員女性、それも30名。原稿は女性用に作成し直した。問題はグループワークである。1つのグループに6人ずつとして5つのグループができる。一人ではさばき切れない。できの悪い講師初心者は丸山さんに当日都合をつけてもらいファシリテーター(まとめ役)として講座に参加してもらった。市の職員にも手伝っていただき今回は時間内に用意しておいた内容をなんとかやり終えることができた。 帰り際に受講者の一人から「楽しかった」と言われ、市の担当者からも「みなさん楽しまれていましたね、ありがとうございました」と笑顔で言われた時には「良かった!」2時間立ちっぱなしで疲れたけれど報われた感じがした。
 帰りの電車の中で今まで味わったことのない何とも言えない心地よさが胸を覆った。「達成感?」「充実感?」とも違うなにか言葉では言い表せないような心地よさ。
 問題山積で始まった講座だったが今回は終わりよければ総てよしだ。そして講師をすることになったいきさつを思い出していた。
 「あの時にあの人に合わなかったら」そして「ランチを誘わなかったら」「あの時講師の話を断っていたら」私にとってこのちょっとした勇気が全く違う人生を歩むキッカケを与えてくれた。

◆最初の5分が肝心、
   講座は初めよければすべてよし!

 第2の人生も同じ、退職直後が肝心!
 今までの延長線上の考えや行動では新たなことに出会うこともないし何も変わらない。本当は本人の気づいていない全く違うところに第2の人生や生きがいが存在するのかもしれない。



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

posted by たまゆら at 12:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月01日

第8回「講演デビュー@」

こんなはずじゃなかったシニアライフ

原沢さん顔写真.jpg
シニアライフアドバイザー
原澤修一さん

 第8回「講演デビュー@」

■決断はチョットした勇気

 講師というものに多少興味があった。言わば憧れのようなものだ。そう簡単に自分にできるとは思えない。どうしたものか悩んでいた時に、ふと桜井さんのことが頭に浮かんだ。彼女だったらこの件についてどんなことを言うだろうか非常に興味があった。
 連絡をすると快く応じてくれ、また勤務する大学の近くでランチをすることになった。私は講師のオファーを受けた経緯を話した。講師の経験がないこと、人前で話すこと、講座の進め方、資料作成のことなど、とにかく不安を並べ立てた。じっと私を見ながら聴いていた彼女は私が断ることの理由を見つけているのかと感じたのかもしれない。
 彼女は思ってもみない一言を発した「まあ、羨ましい、そんなオファーが来るなんて」私が「エー!」という顔をしていると、「だって、私の仲間でも講師をやってみたいと思っている人はたくさんいるのよ」「なかなかそんなチャンスはないのよ」「資格を取って1年くらいでそんなチャンスに恵まれるなんて本当にラッキーなことよ」「このチャンスを逃すと、きっと後悔することになるわよ」「どんな講師でもデビューの時は緊張と不安で一杯だったと思うわ」「原沢さんなら大丈夫よ、今でしょ!せっかく取った資格を生かすのは」
 黙って彼女の話を聞いていたが、親子ほど年が離れているにもかかわらず、叱咤激励されてしまった。気丈で率直に物言う姿勢はさすが道産子。単なるマドンナではなかった。見方を変えなければ。そんな彼女に私から「桜井さんは講師に向いていると思うけどどう?」と勧めてみた。
 即座に「私は無理、だって人前で話すのは大の苦手だから講師はできない、無理」と拒否。「本当にそうかなあ、そうは見えないけどなあ」と思いつつ、いつか機会があったら彼女も引っ張り込んでやろうと考えていた。自分にとって冒険なことであり勇気のいることだったが、彼女の後押しもあり講師を引き受けることにした。

■60の手習いにお付き合いしてくれた先生

 さあ、それからが大変。人材派遣会社の担当者は丸山さんという50代のカウンセラーの資格を持つ女性であった。丸山さんからは、私のような年配者は「今までの経験に執着した価値観や実績を振り回す人が多い」と、まずカウンターパンチを食らう。
 そして「今回の講座が初めてなので、などとエクスキューズをしないこと」「私たちはお金をもらう立場、相手から見ればプロだということを自覚すること」「それから絶対失敗しないでください。
 失敗すると二度と仕事は来ませんから」と厳しく指導された。まるで脅しである。気持ちが萎えた。しかし引き受けた以上逃げるわけにはいかない。講座は3か月後である。その間、初めて講師をする人向けのハウツー本を読み、経験者から話を聴き、資料作りに欠かせないパワーポイントの勉強をした。今回の受講者を想定しながら作成した資料を、丸山さんにチェックしてもらい何度もダメ出しを食らった。
 最初の頃は一生懸命に作成したものをいとも簡単にNOを出された時はさすがにムッときた。丸山さんの言う年配者に対する懸念が頭を持ち上げてしまった。「いかん、いかん」丸山さんは講師のベテラン、初心者の私にとっては先生なのだ。
 私の知らないことを教えてくれる人は年齢に関係なく全て先生と思うようにしよう。そう思ったときに急にストレスが取れ楽になった。「大変良くなりましたよ」とやっとOKが出たときに、厳しい指導のおかげで、自分でも気づかなかった執着心のようなものが少しずつ削ぎ落とされたような気がした。
 資料作りは、作成の過程で話す内容を整理し、頭の中に刷り込んでいく作業、言わば講座の生命線である。資料作りが終わると次は講座の進め方である。丸山さんからは進め方や時間配分、それに「アイスブレイク・ワークショップ・ファシリエーター」など耳慣れない講座に必須なことを学ぶ。
 通常の仕事の合間に時間を割いてくれて、覚えの悪い私に嫌な顔一つせず辛抱強く指導してくれた。
 講師養成所のプライベートレッスンに通っているようであった。これは私にとって非常に幸運なことであり、財産になったことは言うまでもない。講師デビューまで1週間。何度も何度もシミュレーションを繰り返す緊張の日々が続いた。

◇次の一歩はチョットした勇気

 人の話を素直に聞くことのむずかしさ。年齢を重ねるにつれなかなか次の一歩が踏み出せない。無理することはない、冒険することはない、と思うのが普通だ。
 しかし「ちょっとした勇気」が次の行動を呼び起こし思いもよらない第二の人生に導いてくれることもある。



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by たまゆら at 12:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月01日

第7回「偶然の妙味」

こんなはずじゃなかったシニアライフ

原沢さん顔写真.jpg
シニアライフアドバイザー
原澤修一さん

第7回「偶然の妙味」

■勇気を与えてくれた年下のカウンセラー

 資格を取って再就職した人、大学で学生の就職支援をしている人、ハローワークなどの公共の機関に携わっている人など養成講座の同期3〜4名の消息は分かっている。他の人はどうしているのだろうか、ぼんやり考えていた。
 そんな時、養成講座の同期でマドンナ的な存在だった桜井さんからメールが届いた。北海道出身の30代半ばの溌剌とした素敵な女性で、養成講座の中にあっても明るく愛想良しの人気者であった。私が言うことではないが残念ながら既婚者であった。
 若い頃、私の上司が女性社員のことを「結婚するまではみんなのものだ」なんて滅茶苦茶なことを言っていたのを思い出した。(これって今の時代ならハラスメント?)メールは「このたび、水道橋駅近くの大学で学生の就職支援の仕事をすることになり契約社員として働くことになりました。近くに来た時にはぜひ声をかけて下さい」という内容だったような気がする。一度は学生の就職支援の仕事を志した私である。お言葉に甘えて早速連絡を取り、お昼休みにお邪魔してランチを一緒にすることになった。
 仕事の内容を聞きたかったのはもちろんだが、久しぶりに彼女の精力的な姿を拝見し元気をもらおうと思ったからである。
 当日、彼女は約束の時間に15分遅れてやってきた。思っていた通り元気一杯、髪を振り乱して走ってきた。そんなに走らなくてもいいのに、どっちみちこっちは暇なのだから。ハアハアしながら「ごめんなさい、お久しぶり」の一言と期待していた笑顔。学生とのカウンセリングの時間は一応決まっているのだが大抵予定した時間よりオーバーしてしまうそうだ。そんなわけでゆっくりランチはできなかった。短い時間だったが一応仕事の話も聞けてよかったのだが、つい、自虐的な愚痴に近い悩みを話してしまった。
 彼女は黙って聴いていた。そして「原沢さんも大学で学生のカウンセラーをやってみない?」と私に勧めた。他にも何か言われたような気がしたのだが思い出せない。時間が来たので急いで彼女は大学にもどって行った。普通はこちらから連絡を取らなければこれで接点は切れるのだが、この彼女との再会は今後の私の人生において大きな影響を与えていくようになるとは思ってもみなかった。

■こんなハプニング(偶然の出会い)が   本当にあるなんて!

  思いがけないことは渋谷で起こった。年金のことで池袋の年金事務所に行くつもりだったが、たまたま渋谷に行くことになり、そのついでに渋谷の年金事務所で手続きをすることにした。
 受付の男性がにこにこしながらこちらを見ている。驚いた、彼は以前私が勤めていた会社の40代の同僚だった。聞くと、私が退職した後に彼も早期退職に応募したと言う。退職した時にはすでに社会保険労務士の資格を取得していたそうで、時間があるときに年金事務所でアルバイトをしているとのことだった。
 それにしてもなんという偶然、同僚と言ってもプライベートではほとんど話をしたこともなく、ここで会わなければ、おそらく一生会うことのない人物だ。他に中小企業診断士、ファイナンシャルプランナーなどの資格も退職前に取得していたと言う。そして今は渋谷に事務所を構えている。彼は優秀なのだ、そして大変な努力家でもあることを知った。
 彼はビジョンを持ち、事前に準備をして退職に備えていた。言うならば、彼は「会社を見限って辞めた人」私は「会社から見限られて辞めた人」ということになるのか。往々にしてこのようなケースでは手続が終わってしまった時点で、「それじゃ、またね!」で別れてしまうものだ。そしてその後会ったためしがないのが普通だ。私は違った、今は時間があるのだ。お昼も近かったので暇つぶしに彼をランチに誘った。食事をしながらお互いの近況を話し、その日は別れた。
 2週間くらい経った頃、彼から会いたいと連絡があった。何だろうと渋谷に出向いていくと、彼のお付き合いしている人材派遣会社が、神奈川県のある自治体からの委託事業として「若年層及び転職者向けの就職支援講座」が市民向けに組まれている。今その講師を探しているので私にやってみないかということであった。もしその気があるなら人材会社に推薦すると彼は言う。やっと資格を生かす時が来た。
 こんなチャンスは滅多にあるものではない。でもすぐに返答はできなかった。何せ講師など経験したことがないのだから。確かにキャリアカウンセラーの担当分野だ。胸がドキドキ高鳴った。ちょっと大げさだが自分にとっては今後の人生を左右するほどの転換期が訪れたような予感がした。少し緊張しながら渋谷を後にした。桜井さんとランチをしてから1か月後のことである。

◇偶然が引き起こした化学反応

 すべては私の暇にまかせたランチ作戦から始まった。もう一生会うことはないだろうと思っていた彼と渋谷で偶然バッタリ、「それじゃあ、また」で別れていたらおそらく二度と会うことはなかっただろう。
 自から行動を起こすことから偶然は生まれる。そしてチャンスに変化する瞬間を実感した。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by たまゆら at 16:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

第6回「強烈な娘のひとことに感謝」

こんなはずじゃなかったシニアライフ

原沢さん顔写真.jpg


シニアライフアドバイザー
       原澤修一さん

第6回「強烈な娘のひとことに感謝」

■娘はカウンセラー

 来年から娘の就職活動が始まる。やはり親としても無事就職できるのか心配である。退職して間もなく娘がこんな仕事をしたいと私に相談してきたことがあった。
 私は自分の経験から「そんな仕事はやめたほうがいい、給料は安いし、重労働で長くは続かないぞ。それよりもこんな仕事のほうがいいのではないか」と軽い気持ちでアドバイスした。
 数日後、娘が妻に「2度とお父さんには相談しない」と言ったというのである。娘に良かれと思いアドバイスしたのにどうしてそんな風に思うのか合点がゆかなかった。
 キャリアカウンセラー養成講座に通うようになって紆余曲折もあったのだが、どうにか講座も最終段階を迎えたころ、カウンセリングとはどうゆうものなのかが少しわかるようになってきた。
 1次試験が近づいてきたころ娘の前で「1回で受からなくてもいい、また次があるから」とエクスキューズしたところ娘は「そりゃ逃げだよ、1回で受からなければ一生受からないよ」と冷たく言い放った。
 私は本当に自信がなかったのである。娘に言われて発奮したわけではないが、何とか、本当にぎりぎりで1次試験の筆記に通った。
 2次試験の前日には娘を喫茶店に誘いロールプレイのクライエント(相談者)の実験台になってもらった。終わった後、娘からは厳しく「お父さんはカウンセラーに向いてない。私が今どんな気持ちでいるのか、どうしたいのか、そのためにはどうすればいいのか、をちゃんと聞いてくれていない」と言うのである。
 私は驚いた。娘がまるでカウンセラーのようだと思った。要領をつかめずにいたモヤモヤが晴れた思いだった。2次試験当日、内容はともかく落ち着いて受験でき幸運にもここも最低ラインでパスすることができた。
 なぜパスできたのかはいまだにわからない。娘にはそれはおかしいと言われる始末である。こうして合格し、晴れてキャリアカウンセラーに成れたのは親子だから言える遠慮のない厳しい娘の意見のおかげと今は感謝している。

■カウンセラー初心者

 さて、娘が私に就職の相談をしてきたときのことを思い出してみる。あの時は娘の気持ちよりも親として、また私の経験や価値観で一方的にアドバイスをしてしまった。
 カウンセラーになった今だったらどうするだろうか。おそらく、なぜその職業に興味を持ったのかを聴き、仕事をしている自分自身の姿をイメージするように話すかな。
 報酬や仕事の内容などは本人に調べさせることに意味が有り、その前に私の経験や価値観に基づくアドバイスは控えるだろう。たとえ言ったとしても納得はしないし受け入れないだろう。もどかしいが親としては聞かれたことだけにアドバイスをするように努力をする。
 娘の大学の就職課にもキャリアカウンセラーはいる。娘の担当カウンセラーは親身になって相談の乗ってくれると学内でも評判の人だと聞く。
 就職氷河期の中、就職戦線を学生と共に戦ってくれているらしい。そのかいあって娘は希望していた会社の内定をゲットし、担当カウンセラーに報告を兼ねたお礼に行ったという。
 私も担当のカウンセラーに感謝である。
 結局、私は娘に助けてもらったが、娘の役には立てなかった。

◇身近の仲間

 目標を達成するためには仲間が必要だ。現役の時と違い、その仲間は自分から求めていかなければならない。今回は娘が重要な仲間の役割を果たしてくれた。


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

posted by たまゆら at 16:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

「人生を変えた一枚のチラシ」

こんなはずじゃなかったシニアライフ

原沢さん顔写真.jpg
シニアライフアドバイザー
          原澤修一さん

第5回「人生を変えた一枚のチラシ」

■ふと目に留まった一枚のチラシ

測量のアルバイトがない日の朝、新聞を読んでいたら、ふと1枚の求人チラシに目がいった。今まで求人チラシなど見たこともなかったというのに。そのチラシには近くの女子大学の綺麗なキャンパスがカラー写真で掲載されていた。
 求人の内容は就職難を反映してか、「学生の就職支援をするアシスタント、時給820円、週3〜4日、9時30分〜17時30分」何か引きつけられるものがあった。キャンパスが綺麗で女子学生に囲まれて仕事ができる。自宅から近いので車で通うことができる。それに春休み、夏休み、冬休みもある。いいことづくめである。動機は不純だが今の怠惰な私には言うことのない最適な仕事だと思えた。
 翌日、電話をすると「応募者は多数来ている」と担当者は案に応募しても難しいとほのめかす。
 「現役時代には多くの学生の採用面接に携わってきた実績がある、きっとお役に立つことができる」と力説したのだが。わざわざ60歳近くの男を雇うはずはないかと諦めかけていた時に、追い打ちをかけるように「原沢さんはキャリアカウンセラーの資格をお持ちですか?その資格をお持ちでしたら1名採用枠があります。時給は倍になります」という。
 当然そんな資格は持っているはずもなく、拒否回答そのものじゃないの。まあ予想はしていたものの久しぶりにムカっとした。
 それにしても時給が倍になるというのは聞き捨てならない。キャリアカウンセラーとはいったい何だ。すぐにインターネットで調べてみた。
 キャリアカウンセラーの役割はいろいろあるのだが、その中に「就職難の中、悩みや不安を抱えている若者や転職者のキャリア形成のため寄り添いながらカウンセリングし、支援すること」とあり人の役に立つ仕事である。
 もともと人に接することや話すことは好きで、私に合っていそうな気がした。また娘が来年就職を控えていることもあり父親としてまともなアドバイスの1つもできるのではないかと前向きに考えてみた。

■ひさびさに味わう達成感

 だがこの資格を取得するためにはいくつか問題があった。毎週土曜日9時〜18時まで3か月間養成講座に通学しなければならない。その費用は取得まで40万円くらいかかる。
 一次の筆記試験と二次のロールプレイと面接試験があると知って正直腰が引けた。養成講座に通うのはいいとしても筆記試験があることに抵抗を感じた。
 しかしカウンセラーが自分に向いていると考えるようになり、わずかに先の光が見えてきたような気がしたので、妻に話すと私が何かやろうとしていることに理解を示しながらも「今回は大丈夫でしょうね」と言われた。最初は何のことかわからなかったのだが、妻が言うには、「前に1度何かの資格を取ると言って途中で挫折して受講料を6万円無駄にしたのよ」と、金額まで指摘された。そういえばそんなことがあった。でもよく覚えているなあと感心すると同時に少し怖くなった。
 今回は金額も大きいし途中で投げ出すわけにいかない。はっきりと妻に「今回は大丈夫だ」と宣言した。
 養成講座には20代〜60代まで多様な年齢の方が20名くらい在籍し、講師からは「原沢さんは年齢からみて若い人の2倍くらい勉強しないと合格は難しいですよ」と冗談っぽく言われたが「そうだろうな」と変に納得してしまった。
 講師に言われた通り筆記試験に向けた勉強は大苦戦した。とにかく覚えることができないのだ。何度も挫折しそうになった。
 しかし幸運なことに1次試験も2次試験も何とか一発で合格できた。でも苦しかった。この年になってこのような経験をするなんて、合格した瞬間一生懸命覚えたはずのテキストの内容はほとんど忘れてしまった。養成講座で様々な年齢、職業の方と同じ目標に向かって過ごした3か月は、年下の仲間もでき楽しく充実していた。この年になると同年代以上の仲間はいても、年下の仲間はなかなかできないし、知り合う機会もない。
 目標を持ち達成することは苦しいこともあるがその先に楽しいこともあることを改めて知った。1枚の求人チラシが導いたキャリアカウンセラーへの道. 久しぶりに達成感を味合うこともできた。
 早速、例の女子大学に電話を入れると、すでに後任のキャリアカウンセラーは決まってしまって募集は当分ないとのこと。「えー!そんなー」せっかく苦労して取ったのに。私の描いたプランは水泡に帰してしまった。やはり不純な動機がいけなかったのか。

◇行動の重要性

 動機が不純だろうがそんなことは関係ない。私の場合は女子大で働きたいとの思いで資格取得に挑戦したのであるが。そして仲間ができ、その存在が活力をもたらす。
 行動を起こしたことにより得られた達成感、行動を起こすことにより何かが起こる。


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

posted by たまゆら at 16:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月05日

「いまだ方向定まらず」

こんなはずじゃなかったシニアライフ

原沢さん顔写真.jpg
シニアライフアドバイザー
          原澤修一さん

第4回「いまだ方向定まらず」

■ビジョンのない社会貢献

 退職後に何をしたいかとアンケートをすると、ほとんどの人は取りあえず「ボランティアや社会貢献など人の役に立つことをしたい」と答えるそうだ。
 具体的なビジョンがあるわけではなく、ただ一つの選択肢としてそう答えてしまうらしい。本音は楽をしたい、楽しみたいのであり、しかしそれをストレートに言いにくい。
 ボランティアや社会貢献について全く考えていなかったわけではない。
 自分に合うコミュニティを探すのが面倒であったのと、やっと会社という組織から解放された身としては、また新たな組織に入って人間関係を構築しなければならないことの煩わしさが参加への壁となっていた。
 そもそも社会貢献やボランティアの本当の意味すら理解していなかった。ゆえにいまだ無縁である。

■親友からの誘い

 ネガティブ調になりかけていたその時期に、中学生時代の仲間から連絡があった。
 今でも年に何度かは会っている旧知の友だ。私の退職を聞きつけて電話をくれたのである。
 「お前、暇を持て余しているのだったらアルバイトで俺の仕事を手伝わないか?」と。
 「暇を持て余している」私にとっては嫌な言葉だが、救いの電話でもあった。彼の職業は測量士、30年のベテランである。
 かつては7〜8人の従業員を雇っていたそうだが、不景気のあおりで公共工事も減少の一途、従業員も1人減り2人減りと先日まで1人残っていた最後の従業員も辞めてもらったとのことであった。測量は最低2人1組で行うもの。

 彼1人では、たまに入る仕事もできないので、仕事のある日だけ手伝ってくれというのである。
 週2日程度、朝8時〜夕方5時まで。経験も全くない私だが、暇を持て余しているのを見かねて誘ってくれたのである。
 時間もあることだし、少しでも彼の役に立つならば、と思いとりあえずやってみることにした。
 彼は教え方がとても上手で懇切丁寧に指導してくれた。彼にこんな面があるのかと普段の彼からは想像できない発見であった。
 3か月も経つと測量機器の扱いも慣れて仕事の段取りが読めるようになり楽しくなってきた。

 しかしすべてが順調だったわけではない。測量という仕事は想像以上に肉体労働である。
 彼にとってはどうってことでもないことも、慣れない私にとっては大変な重労働であった。
 重い測量機と三脚の持ち運びや境界標のコンクリート杭の掘り起こしや杭打ちと、立ちっぱなしの作業でクタクタになる。
 最初の頃は家に帰って入浴し夕食をとるとバタンキューであった。
 ただストレスがないのがいい。おかげで、ジムに通っているかのように筋肉と体力がつき、顔と腕は日焼けして真っ黒。「最近逞しくなった」と嬉しそうに妻は言う。
 週7日のうち1〜2日は測量のアルバイト、あとはたまに行くゴルフや野暮用でつぶれてもまだまだ時間はある。

 測量のアルバイトをしているときはそれに没頭しているからいいのだが、何も予定のない日は以前ほどではないが先のことを考えると、不安が頭を持ち上げる。

◇友に感謝

 友人からの誘いはありがたかった。暇な時間を少しは解消できたことと、人と接し会話する機会が増えたことが自分を取り戻したような気がした。
 そして測量をしている時は何よりも楽しかった。定まらぬ方向が今回の機会によって少し変化していく予感がした。


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by たまゆら at 15:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月01日

「女の不満」夫が定年になって困ること

こんなはずじゃなかったシニアライフ
        シニアライフアドバイザー
                原澤修一さん

こんなはずじゃなかったシニアライフ.jpg

第3回「女の不満」
夫が定年になって困ること

ひたすらはげむ時間の消費
 退職直後は各種手続きや申請などがあり結構忙しい。それがひととおり終わると待ちに待った自分の時間。朝食後舐めるように朝刊を読み、図書館に顔をだし、昼食後はゴルフの練習に出かけ、その後ジムに通い、汗をかいた後近くの温泉付きの大浴場で汗を流す。1週間に一度はカルチャーセンターにも通う。いかにも充実しているかのような1日を披露し「小生、目下晴耕雨読、至福のひと時を過ごしております」と近況報告を兼ねた挨拶状出した。(今思うと、ああ恥ずかしい!)
 しかし、1か月も経たないうちに、同じことの繰り返しは飽きてくる。何よりも妻の無言の圧力や毎日遊んでいる私に対して近所の人の目が気になり始めてきた。何も悪いことをしているわけではない、当然の権利なのに、この違和感はいったいなんだ。それにもめげずひたすら有り余る時間の消費に励んでいた。

退職した夫の存在
 退職して3か月くらい経たころで、思いがけない問題がいろいろ出てきた。日課にしていたゴルフの練習も急にやりすぎたためか肘がテニス肘になり痛くてできなくなってしまった。また図書館は平日なのに高齢者の人で溢れており、席もままならず次第に足が遠のくようになってきた。また、どこに行くにしても意外と交通費がかかる。定期のありがたみが身に染みる。思い描いていた計画が次第に狭まってきてしまった。そんなときに50代後半の女性二人とお茶を飲む機会があり、その際に彼女たちの夫の定年のことが話題になった。私が「夫が定年になって一番困ることって何?」と聞くと、声をそろえて「仕事が増えること」何のことかと思えば昼食のことである。夫が家にいると今までは自分のことだけだから食事の時間も料理も適当にすましていたけれど、そうもいかなくなる。たまに友達とランチに出かけるときも気を使わなければならない。
 「1日1食は外食してほしい」「出かけるときはいちいち行き先を告げ、帰宅時間も言わなくてはならず苦痛だ、まるで監視されているようだ」それから夫は定年したからといって好きなことをしているけれど、私たちは相変わらず家事をこなしている、不公平だ。「私たちも主婦を定年退職したい」出るわ、出るわ、夫への不満。ただただ黙ってき聞き入るばかり。また、私と女性たちの共通の知人の女性は夫が定年になった途端に「うつ病」になってしまったという話も。以前テレビで見たことのある亭主在宅症候群、いわゆる夫源病というやつだ。テレビの中での話だと思っていたが現実に身近に起こっていることを知って驚いた。定年退職した夫の存在を妻はどう思っているのだろうか。他人事のように女性陣の話を聞いていた。

私の居場所は我が家?
 今から考えると、会社というところは学校のクラブ活動のようなところであった。いろんなクラブ(会社・部署)がありそれぞれに所属し、目的を持ち目標に向かってより良い成績を目指し活動し、次々と卒業(定年退職)していく。学校には先輩がいて教師もいる、会社も先輩がいて上司がいた。時には部下や後輩を先輩として指導してきた。それぞれ目標を達成するための、お手本が常にあった。退職後、目的や目指す目標もなく、やみくもに時間を消費することのみに邁進してきた。しかし3か月経って噴出してきた問題や違和感が少しわかってきたような気がする。今まで家よりも会社の職場が自分にとっての居場所であった。1日のうち大部分を職場で過ごし、そこに生きがいが有り、社会的役割があった。退職後の居場所は我が家?どうも違うような気がする。

◇お前は自立しているのか!
 やることがないのだから時間の消費もできない。思ったことができないのだから違和感が出てくる。私達の人生には常にお手本があった。すでにプロデュースされた人生だったのかもしれない。自分が自立していないなどと考えてもみなかったし、面と向かって言われたこともない。自身に「お前は本当に自立しているのか?」と問いかけたときに答えに窮した。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by たまゆら at 16:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月01日

「自由という名の男のロマン」

こんなはずじゃなかったシニアライフ

                        シニアライフアドバイザー
                                       原澤修一さん

第2回
「自由という名の男のロマン」

男のロマン
 やっと手に入れた自由。何でもできる自由、何もしなくても良い自由、至福の時が訪れる。いろいろ考えた。まず妻の労をねぎらって一緒に旅行にでも行こうか。仕事で思うようにできなかった趣味のゴルフが好きな時にできる。こんな贅沢があるだろうか。映画、音楽、読書、博物館、美術館、名所旧跡巡り、やりたい、見たい、行ってみたいことは山ほどある。
 後で知ったことだが、これは私だけのことではなく定年退職者が考える定番、典型的な「男のロマン」現象なのだそうだ。

退職とともにきれる縁
 退職願を出してから退職するまでの間、飛ぶ鳥跡を濁さずとは言うけれど、もう仕事に熱が入るわけがない。引き継ぎといっても1週間もあれば終わってしまう。しばらくたって同僚より退職日に送別会を行うことを告げられる。今まで数多くの送別会に出席したが、自分のこととなると妙な気持で、先のことなのに最後のスピーチのことが気にかかった。送別会では昔話に花が咲き、多少の嫌味も言われ、最後にお決まりの挨拶・記念品・花束贈呈で終わった。一瞬サラリーマン生活36年間のことが走馬灯のように頭を駆け巡った。 明日から30年以上通ったこの会社に来なくていいのだ。本当にもう来ないのだ。これで私とこの会社との縁が切れてしまうのか。今日という一瞬を境に、おそらく何人かを除いて、ここにいるみんなとは一生会うことはないだろう。
 長年の縁が今日をもって切れる。そうしてみんなばらばらになりタンポポの綿帽子みたいに自分の住む地域に散っていく。そして私もそこに根を張り暮らしていくことになるのだろう。

希望退職とリストラ
 早期希望退職に手を挙げたことを家族に説明しなければならない。どのみち60歳になったら退職するのだから時期がちょっと早まっただけのことである。割増退職金が出るので定年まで勤めた場合と、経済的には変りはない。特に反対される理由はないだろう。私にとっては2年早く自由を手に入れることができる。すでに退職願を出してから10日が過ぎていた。
 ある晩、妻と娘に早期希望退職の件を説明した。妻の一番の関心事は経済的な不安、つまり退職金のことだと思っていた私は「割増退職金が出るので心配はない」と説明した。娘が突然「お父さんそれってリストラじゃない」と一言。まあ世の中ではそう言うのかもしれない。しかし私は会社から辞めろと言われたわけではない。あくまで希望退職なのだ。娘などにはわからない38年間の汗の結晶として手に入れようとしている退職金と自由なのだ。

意外な妻の一言
 妻は浮かない顔をしてしばらく黙っていた。そして一言「その後はどうするの?」と一言。2人からは私が想像していたねぎらいの言葉はなく、私は言葉を失ってしまった。その前に言うことがあるだろう!一生懸命家族のために働いてきた。せめて「長い間お疲れさま」
「しばらくゆっくりしてください」の一言が当然あってしかるべきだろう。
 これに対する答えは用意していたのだが結局言わずに終わってしまった。何か不満でもあるのだろうか。妻の真意を測りかねていた。私がどんな思いで働いてきたのか妻も娘も全く分かっていない。まあ、今日のところはいい。それよりもこれから何をやろうか、何でもできる、頭の中は希望に満ちた高揚感で一杯だった。

◇いずれ賞味期限が切れる男のロマンに気付かない自分
 ねぎらいの見返りを求めている自分、苦労を認めてもらいたい自分、妻の意外な反応が意味することが解らない自分、ひたすら男のロマンを追い求めている自分がいた。

こんなはずじゃなかったシニアライフ.jpg

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
posted by たまゆら at 16:00| Comment(0) | こんなはずじゃなかったシニアライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする